top of page
DSCN9340.JPG
1a89花.jpg
くんち2a.JPG
cp.jpg
unzen_003[1].jpg
吸玉療法bb.jpg
ouratensyu_004[1].jpg
DSCN5926.JPG
難病にe.JPG
oDSCN1884.JPG
DSCN2120.JPG

 万病一元
 
「万病一元」という言葉をご存知でしょうか? 

 

細菌病理学説からみると、病気は、結核菌やコレラ菌やインフルエンザウイルスなどの菌やウイルス、または、寄生虫や花粉などの体の外から侵入する外因により起こるとされています。
 
ところが江戸時代の後藤艮山は、「万病は、一気の留滞より生ず」と、内因説を唱えました。
又、吉益東洞も、「万病は、体に停滞する一つの毒」により起こると『万病一毒』説を唱えました。 

 

東洞は「万人同じ物を食し、同じ風にあたっても、食傷、あるいは風邪ひく者とひかない者がある」といい、「体に発病の元になるただ一つの毒さえなければ、皆等しく外邪に冒されることはない」と述べました。

 

その説を引き継ぎ、大阪帝国大学教授の片瀬淡博士は、・・・
 

失病の根本原因はただ一つ、それは、血液の酸塩基平衡の失調であると述べました。・・・
 
秦の始皇帝は、蓬莱( ほうらい­・・・仙人が住む山 )に不老長寿の仙薬を求めたが、 古来より、仙薬を求めずとも、無病息災で長寿を全うする者は少なくない。 このことからも不老長寿の真法は必ずあると研究を重ね、博士は『
万病一元』説を提唱しました。

 

それは・・・
血液の水素イオン濃度(pH ペーハー )が7.0( 中性 )になると赤痢菌やチブス菌に犯され、pH6.8( 弱酸性 )になるとよろこんで結核菌が繁殖し、もっと酸性のpH6.4になるとあらゆる化膿菌の繁殖が旺盛になると述べ・・・

 

そして、血液が弱アルカリ性のpH7.2~7.4では、たとえ外因( 病原菌や冷え込み )が作用しても発病しないと、発表しました。

 

血液の酸性とアルカリ性のバランスが崩れることにより起こる機能的、形体的変化が生体にある時のみ、様々な外因の作用により、諸病は、はじめて成立するのである。

 

すなわち、諸病は、血液の酸塩基平衡の失調により起こる体質の悪化を一元的原因として、発生するのである・・・
 
この病理学のもとに、無病息災と長寿を欲するならば、・・・

血液酸毒化の原因となる偏食・過食・贅食をさけ、粗食・雑食に甘んじ、カルシウムとビタミンの豊富な食物を摂り、過労を避け、早寝早起き、適度な運動、そして心を明朗にして、血液の浄化に努めるべし、・・・
と、説いています。

 

 難病に挑む!
 
黒岩東五先生は、この「浄血の学理」にたいへんな感銘をうけ、体質悪化の根拠を科学的にイメージ出来るようになったようです。

 

ですが、まだ抗生物質のなかったその頃の結核療養所では、大気、栄養、安静を主にした自然療法が基本で、すでに、片瀬博士の勧める生活を3年も続けて、それでも病状は最悪になっていたのです。

 

もっと、劇的に体質を変える方法はないか・・・
もっと、積極的な浄血法はないか・・・
そして、行き着いたのが、吸玉だったのです・・・

 

最初、先生は、病巣部に溜まっている瘀血は酸性だと思っていたそうです。

ところが、吸玉で出てくる瘀血は必ず強いアルカリ性で、その後いろんな人の瘀血を調べてみても、ほとんどpH8.0を超える強いアルカリ性だったのです。

 

これは一体どういうことか?
片瀬博士が、pH6.8の酸性になると喜んで結核菌が繁殖すると述べたことは誤りなのか? ・・・
 
実は、これは
腐敗の原理なのです。
 

たとえば、図のように・・・

鶏肉と刺身の新鮮な肉は、pHが弱アルカリ性です。・・・

しかし、2日もたつと酸性に傾き( 夏は、冬より早い )pH6.5位になります。・・・

それから時間の経過とともに、一転してpHはアルカリに傾き、・・・
5日ごろになるとpH8.0位の強アルカリになって、・・・悪臭を放ちながら肉は腐敗していくのです。
 
生きている動物が腐らないのは、血液が循環することで、全身のpHを常に弱アルカリ性に維持しているからです。
 
過労をすると風邪ひきやすくなるのは、過労をすると体内に炭酸ガスがあふれて、体内のpHが酸性化するからです。
 
たとえば、通常では問題のない街のゴミ処理も、大きな台風が通った後には処理が間に合いません。
まずは、先に、幹線道路だけでもゴミの撤去を優先します・・・

 

同様に、休養をとれずに過労をしているときは、とにかく、活動をつづけるために必要な所だけが優先されて、その他は、炭酸ガスや老廃物の処理が後回しにされます。

 

台風直後のあふれたゴミ処理も、そのうちいつかは片付きます・・・
過労をしても、休養をとれれば、体内のゴミ処理も、そのうちには片付きます。
リフレッシュした体で又仕事も元気にできるようになります。

 

しかし、過労の状態が慢性化すると、体内のゴミ処理がいつまでも追いつきません。
そのうちに、ゴミの山が腐敗してくるでしょう・・・

 

過労をすると、細胞間質に、炭酸ガスや老廃物が取り残されます。
すると、その部分は酸性化します。

そして、過労の状態が慢性化すると、酸性化したその部分は、そのうち強いアルカリ性に変わっていくのです・・・

 

薬や農薬や食品添加物、タバコや、過剰なアルコールや甘い物や動物性脂肪、偏食、そして、ストレスや運動の過不足なども、血液を汚して酸性化させ、それが長期に重なることで強いアルカリ性に変って腐敗していくのです・・・
 
これが、瘀血の成り立ちだと、・・・思われます。
 
吸玉は世界中に大昔からあります。
しかし、吸玉の研究は、ほとんどやられていないようです。
世界的にみても、黒岩先生だけのようです。
まだまだ、解明しなければならない事は多いとおもいます。

 

長崎でも、ご自身の瘀血を調べた方がいます。・・・

大学で教授をされていた方ですが、背中の4箇所から出した瘀血はpH7.84~7.86の強いアルカリ性でした。先生には病気はなくカッピングは健康法でされていました。

 

山梨県の田中英朋という医師も、ご自身の瘀血を調べています。・・・
この先生は持病の肺線維症が悪化して
肺炎になり、手の尽くしようがない状態を吸玉で治しました。そして、吸玉を始めたときの瘀血はpH10.3もあり、2ヵ月後にはpH8.8になっていたそうです。
 

肺が繊維化すると元には戻らないといいますが、カッピングを続けて驚きの回復をみたそうです。

 

片瀬博士と黒岩先生の研究結果の違いは、血管を流れている血液を観察したか、瘀血を観察したかの違いだと考えられます。
 
黒岩先生は、明日死ぬかもしれない重病人でも、血管を流れている血液はpH7.2~7.4の弱アルカリ性の範囲を逸脱することはないとおっしゃっていました。

 

もし、血管を流れている血液が通常のpHの範囲を逸脱するとするなら、その人は明日ではなく、今、即、死ぬことになるとおっしゃっていました。


黒岩先生は、鹿児島の指宿の傷痍軍人療養所内で、医師の許可もえず独断で、吸玉を始めました。

 

安静は、そのころの結核治療の大原則でしたから、そんな刺激を与えたらかえって逆効果だと皆から忠告されました。

 

それでも考えに考えたあげく、意を決し、吸玉を試しました。

 

昭和18年5月、それまでに危篤状態にも陥り、かなり衰弱もありましたから、最初は病状を細かく観察しながら恐る恐るカッピングしたそうです。
 
カッピングするたびに、胸には吸玉の丸い跡がどす黒く残ったそうです。
 
一時咳や痰が増えましたが、次第に減少し、続けても病状が悪化する気配はなく、そのうち直接瘀血を出すことも試みたそうです。

 

すると、それまで毎朝コップいっぱい出ていた濃い痰がみるみる減り、呼吸もうんと楽になったそうです。

 

療養所の皆は遠巻きにして白眼視していましたが、あるとき同室の僚友が、こころみに自分にもやってみてくれと申し出たそうです。

 

それからは、二人でやりあい、次第に背中の治療も交互にするようになったそうです。
 
まわりの者が懸念するような、病状は悪化するどころか、月を経るにつれて好転し、翌年の昭和19年の暮れに、共にふたりは全快退所することとなりました。
 
その後、黒岩先生は、吸玉の研究と普及に一生を捧げることになります・・・

 

先生が、手動式の吸玉を発明したのは、昭和25年頃のようです。燃料式ではなく、機械式の吸玉は、世界でも最初だったかもしれません。

 

鹿児島で普及を始めたころは、手動式の吸玉は、無医村の過疎地で喜んで受け入れられたそうです。

その後、電動式も開発されましたが、これは、間違いなく世界初だと思います。

 

昭和44年、30年間の研究を重ねて著した著書が、『真空浄血療法』です。
 
細菌病理学を主体にした西洋医学を学ばされていた現代人である当時の私には、なじみの薄い東洋医学や、酸塩基平衡の学説や、吸玉療法の解説は多少の分かりにくさもありました・・・
 
しかし、先生の、吸玉にかける情熱と、一方、非常に客観的かつ科学的な浄血原理の解き明かしに惹かれ、私は脳天から足先に雷が走るようなショックをうけて、繰り返し読み返しました。
 

 黒酢の誕生
 
高度成長期の頃、車の排気ガスや、工場の排煙や排水などによる公害が問題化しました。
又、農薬や食品添加物による複合汚染も大問題でした。
 
日照権や騒音の問題、また運動不足や洋風化する食事など、激変する生活環境により、病気の様態が複雑化、難病化していた時期でもあります。

吸玉を始める人も、そういった、すがる思いの人たちが増えていました。

 

体質も、たちが悪くなればなるほど、治すのにも手間ひまかかります。

先生は、吸玉だけではなく、吸玉の治療を補い、体の中からも浄血を促すものがないか? と模索し、東洋医学の書にみた『お酢は、瘀血を取り去る』という文言に着目しました。

 

当時の酢を調べると、大量生産される粕酢やアルコール酢が主流になっており、元々日本にあった伝統的な米酢は途絶寸前にありました。
 
しかし、先生は、カッピングの浄血を補うものはこれだ! と直感し、昭和44年に、鹿児島の福山の米酢の醸造元を訪ねました。
 
話をしてみると、米酢は原料が高くて手間もかかり、つくっても割高になりとても売れないとのことでした。

 

最初は断られましたが、覚書を交換して、生産した米酢をすべて引き取ることにしました。

 

売りさばくあてなどなかったそうですが、むしろ、吸玉をしている人たちに歓迎され、全国から驚くべき反響もあがってきたのです。

 

米酢( 黒酢 )を飲んだら、こりや痛みがとれたとか、疲れなくなったとか、・・・
 

カッピングすると自覚症状がとれますが、黒酢を飲んでも自覚症状がよくとれるのです。・・・

・・・先生の直感通り黒酢は浄血を体の中から強力に補うものだったのです。

 

そして、自覚症状がとれれば生活習慣病は自然に治るもので、実際に全国から、黒酢を飲んだら血圧が下がったとか、糖尿病や心臓病の経過が良くなったなどの声があがってきたのです。
 
その後、全国各地の大学で、黒酢の健康効果が科学的に解明されていくのです。・・・
 
     

 

 
    
黒酢の科学へ続きます ⇒⇒ クリック

 

 
 

bottom of page